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2011.09.01

丹波古陶館

丹波古陶館

先日、念願だった丹波古陶館へ行ってきました。

桂離宮の南側を東西に走る道路(八条通り)は、旧山陰街道です。
桂の里は、丹波から京の都に入ってくる際に、また、洛中から丹波に抜ける際にも必ず通過する地でした。そんな丹波と京の都をつないでいるこの土地で商いをしていると、いつしか自然に興味が湧いてきた古丹波。
求龍堂から発刊されている『丹波の名陶』を観て以来、古丹波の、底力というような魅力を持った肌に惹きつけられ、どうしても写真ではない実物を見てみたくなり、丹波篠山の陶芸家柴田雅章さんと御子息貴澄さんに案内していただけることになりました。

草創期の平安時代末期から江戸時代末期まで、古丹波がその流れに添って並べられてあります。時代ごとの特徴や変化の過程などがとてもわかりやすく、特に初期の自然釉の美には、主人とともに「参りました」という感嘆の声がやみませんでした。

「人間と自然との関わりが蜜月だった頃。科学や技術が未熟だった時代。
 人間がこしらえようとするものをはるかに超えた美が生まれた。
 その力強き美に触れるとき、人間は自然の力を知り、自然の恵みに
 頭を垂れる。
  自由にならぬ窯に炎を絶やさぬよう、自然のうつろい、気候の変化に
 息をひそめる。雨が降れば湧水が温度を下げ、陶工はまた薪を足す。
 幾度も幾度も薪を放り込む。(略)名もなき民家からは、後世の人間に
 とって魅力的な表情をもつ焼き物が現れる。」(『丹波の名陶』より)

毎日のように、主人から料理(そばも含め)を作ったりおだしをとったりするうえでの熱い思いを聞いていると、ジャンルは違ってもモノづくりの職人さんは、最終的には皆共通した高みを目指しているのではないかと思います。

生活に根ざした道具を生んできた丹波の焼物が、茶人の手によってその用途を超えて茶道具に見立てられた頃から、古丹波から受ける印象ががらりと変わります。
「無為と人為」として、『丹波の名陶』にはこう書かれてあります。

「意識的につくり出そうとする焼物の景色は、到底自然の仕業が生む力強さ
 には及ばない。意識的に美しさをもとめ、成果を狙う人間の営みには弱さ
 がある。自然への憧れ、畏れ、嫉妬が今日まで陶工にふりかかる。」

柴田さんのお話を聞いていると、それは陶工に限らず、「ものも情報も求めればある程度は誰でも容易に手に入るようになってしまったこと」とひきかえに、「難しくなってしまったこと」があり、その現実と真摯に向き合い続けることが、良いモノを作り続ける糧になるのではないかと深々と感じさせられました。

文献:求龍堂『丹波の名陶』撮影藤森武、編著中西薫