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2012.06.01

日本酒

日本酒

第26回は、日本酒のお話です。

日本酒がこんなにまで日本人らしい、日本の気候・風土、伝統や文化が融合された飲み物であることを、残念ながらつい最近まで知りませんでした。

〇隆兵そばでは、滋賀県竜王町・松瀬酒造さんの「松の司」というお酒を常時置かせていただいております。そちらの杜氏である石田敬三さんがお酒の神様「松尾大社」へのお参りの帰りに偶然店に寄ってくださったことが、日本酒について深く知るきっかけになりました。

お酒の「サ」は、大和言葉で稲の神様。「ケ」は、朝餉(アサゲ)夕餉(ユウゲ)の「ケ」と同じで食べ物。お酒は「神様の食べ物」という意味でした。
縄文時代の後期に稲作が大陸から伝わり、稲作中心の農耕生活を営むようになった弥生時代にはすでに米で作るお酒ができていました。『古事記』や『日本書紀』、中国の史書『魏志倭人伝』にも、すでにこの頃の日本人が自分たちでお酒を造って飲んでいたという記述があります。
天照大御神(アマテラスオオミカミ)の孫である邇邇芸命(ニニギノミコト)のお后さま・木花咲耶姫(コノハナノサクヤヒメ)が山幸彦(ヒコホホデミノミコト)を産んだ時に、そのお祝いに天のたむけ酒を噛まれたと神話にあるように、炊いた米を口で噛み壷の中に吐き貯めて、唾液の澱粉糖化作用を利用して空気中の野生酵母で発酵させた「口噛み酒」は、日本以外にも東アジアや中南米など広い範囲でみられる原始的な醸造法です。
それから、「神様にお供えしたお米にカビが生えたので、それでお酒を醸して宴をひらいた」というお話が『播磨國風土記』に残されています。ここに、麹菌で造るお酒の歴史が始まります。
興味深いことは、麹菌は瑞穂の国と言われた日本の風土に適した日本独特の日本にしかなかった有用微生物であるということです。
中国や朝鮮半島ではほとんどが麦麹(クモノスカビやケカビ)を利用してお酒を造りますが、大陸を渡ってきた米は、日本という土地だからこそ米麹(コウジカビ)のちからによって日本酒になったのです。

日本酒の起源を知ると、ヨーロッパ人にとってのワインのように、日本酒がもっともっと日本人全員の身に染みているものでありそうなのに、日常生活で飲む場面になると、ビールや洋酒を身近に感じるという割合の方が多いのではないでしょうか、私ももちろんその一人でした。

その背景には、現代まで日本酒は世の流れ・政治に翻弄されてしまったことがあるのだと知りました。
明治維新後、それまで消費の多かった日本酒の酒税を、歳入のあてにするためにどんどん重くしながら、政府が打ち出した欧化政策によってビールやワインには重い税金はかけなかったので、国民に急速に洋酒を浸透させることになったそうです。
それ以後太平洋戦争終結までに繰り返される戦争によって、酒も米も軍需用に回され、質の良い酒も米も市場に出回らなくなり、いずれすべて配給制に、そして原料の不足から日本酒は工業的にアルコールや糖類を添加したものが造られるようになりました。
まともなお酒が市場に出回らず仕方なく飲んでいた、そういう歴史背景から、戦後に成人を迎えた世代以降、昔ながらの日本酒の味を知らずに育ったことで、日本酒への思い入れが薄くなり、その印象も変わらざるを得なかったのでしょうか。
科学や技術の発展とともに、「質より量」という高度経済成長の時代にも工業的に造られてしまう日本酒もありました。
もちろんどんな時代でもきちんと丁寧にお酒を造る方はいらっしゃったはずですが、平成のいま、日本酒を丁寧に造る蔵元が増えているということです。
松瀬酒造さんもそのひとつで、石田さんのお酒に向かう姿勢にはひとつ芯が通っていてキリッとした透明感があるように思います。

日本酒を造るなかで「火入れ(低温殺菌する)」という工程がありますが、フランスの細菌学者ルイ・パスツールが科学的に加熱殺菌法を発見するよりも300年も昔から、日本の杜氏は温度計に頼らず酒の表面を見てその温度を忠実に判断しその工程を行っていたことを聞くと、昔の日本人の智慧の素晴らしさに感動します。

ご先祖様からいただいた智慧の塊の日本酒。その将来に期待することを石田さんにお尋ねしたら、私たちが理想としていることと同じお考えでした。

日本人の文化的背景を大切にし、ただインパクトで勝負したりものすごく美味しいというだけのものではなく、アーティストのような個性を求めすぎることもなく、昔ながらの仕事をしながら日本人として洗練されていて、どこにいても静かで穏やかになじむ人のような普通にきちんと造られたお酒と、それに合う同じような気持ちで普通に丁寧に作られた料理が楽しめる飲食店が、駅前に当たり前のようにあって、もちろんそういうものは決して安くはないけれど、そういう店を選ぶことも自然なことになる世の中になれば、とおっしゃっていました。

唐揚げにはビールが合うように、日本酒に合うものはやはり、かまぼこや煮しめなど、昔から日本人が家庭で普通に食べてきたものです。
「英語が喋れても喋れんでも『通訳』はいくらでもおるけど、日本人が日本のこと知らんかったらあかんでしょう〜」と呑みながら明るく笑っておられました。

日本に昔からあり、いま私たちも口にできている食べ物は、ご先祖様が五感を働かせ、試行錯誤の末に生まれた熟練の技や工夫が生きているからこそ、何百年もの歴史を経て生き残ってきたもので、量産主義の食べ物とは発想自体が違うのかもしれません。

この度も日本酒というひとつのテーマで多くのことを教わりました。
石田さんの造られるお酒をこれからも楽しみに、主人は店の料理を、私は晩酌のアテのレパートリーを増やしたいと思います。