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2013.08.01

五社神社

第38回は、桂探訪第2章「五社神社」です。

阪急桂駅からは徒歩で15分ほど、〇隆兵そばからも徒歩で15分ほどの所にその神社はあります。息子が通う保育園の近所なので、毎日の送迎の度にその存在が気になっていました。
調べてみると、昨年その本殿が京都市の有形文化財に登録され、境内は文化財環境保全地区に指定されたということです。創建の詳細は分かっていないようですが南北朝時代には存在していたとされ、立派な茅葺屋根の舞台や拝殿があり、おおきな楠の木に守られたとても趣のある神社でした。
御祭神は、本社に天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)、萬幡豐秋津姫命(まんはたとよあきつひめのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)、經津主命(ふつぬしのみこと)、天兒屋根命(あめのこやねのみこと)、比賣神(ひめのかみ)、底筒男命(そこつつおのみこと)、中筒男命(なかつつおのみこと)、表筒男命(おもてつつおのみこと)、大山咋命(おおやまくいのみこと)、末社には、市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、倉稻魂命(うかのみたまのみこと)と、たくさん祀っていらっしゃいます。

京都では、8月に伝統行事である六斎念仏が各地で行われます。
六斎念仏とは、平安時代に空也上人が民衆に信仰を広めるために鉦や太鼓をたたいて踊り念仏を始めたのが起こりとされており、そこから毎月8、14、15、23、29、30日の六斎日(仏教語で、特に身を慎み自戒清浄であるべきとされた六日)に街中で念仏を唱え踊ったことから六斎念仏と称されるようになりました。後に風流化されて能や歌舞伎などの芸能要素も取り入れられていき、今に至ります。
〇隆兵そばのある桂地区では、桂地蔵寺でつい5、6年前まで毎年行われていました。高齢化で名人の方がだんだんおられなくなり、若者の継承者不足で続けるのが困難になり現在は途絶えてしまっていますが、主人はこの行事をいつか復活させるのが夢だそうです。子供のころから30歳くらいまで桂六斎念仏に参加していた主人は太鼓の名人だったそうで、嫁いできて初めての夏に、近所の方に「隆兵ちゃんは太鼓の名人で子どもたちのヒーローだったのよ」と言われたことがあります。
五社神社にいらっしゃった下津林の方にお聞きしたら、今は途絶えてしまったが30年ほど前まではこちらでも六斎念仏が行われていたみたいなので、この静かな神社で目を閉じてその歴史に思いを馳せるのも良いかもしれません。

五社神社境内にはかつて法華山永福寺というお寺があり、京都洛西観音霊場の元札所でした。しかし、明治政府が出した神仏分離令によって同じ下津林にある長福寺というお寺と合併されてしまい、いまは長福寺が札所になっています。そう、桂川西岸からの地区、〇隆兵そばの近所には、三十三ヵ所の観音霊場があるのです。
阿弥陀如来や観世音菩薩への信仰が盛んだった江戸時代、西国三十三ヵ所巡りは時間も費用もかかり気軽に参加できるというものではなく、成人した長男だけが代表として送り出されるものだったそうです。そこで、誰でも観音巡礼ができるように西国三十三ヵ所を模した「うつし霊場」が置かれたのが、この洛西観音霊場です。
昨年から主人と西国三十三ヵ所巡りを始めましたが、この洛西観音霊場も今後散歩道で紹介していきたいと思います。

〇隆兵そばでお蕎麦とお料理を召し上がった後は、腹ごなしに五社神社まで散歩されるのも良いかもしれません!ちなみに、五社神社には織田信長が度々所望したという石灯篭があると村の方に教えていただきました。小さな神社でも、歴史は深く深くこの土地に根付いています。