講演会のお話(後編)
第52回は、講演会のお話(後編)です。
~続き~
では、実際に、自分たちが、主人が、自分たちの店でどのように実践しているかをお話していきたいと思います。
〇隆兵そばは、おかげさまでこの7月で10周年を迎えることができました。私が嫁いだのは5年前ですので、それ以前のことはあまり分かりませんが、とにかく、料理の出し方、器の使い方、値段設定、など、大変悩み、色々と進化させ続けてきた10年でありました。
お蕎麦がはいったコース料理の店ですので、まず、なじみがないこと。懐石料理のような料理の中にお蕎麦を組み込んでいると言ったら分かりやすいかもしれませんが、いわゆるお蕎麦屋さんのお蕎麦尽くしの蕎麦懐石ではなく、「そば」があるために日本料理屋というほど肩ひじ張ったものではないけれど、そのへんの料理屋さんにも負けないという自負があるほど材料や素材や出汁、内容にこだわっていたので、当然「お蕎麦屋さん」の価格帯でお出しすることができるわけもなく、「そば」と「料理屋」の狭間で「どっちやねん」とお客様に理解され難い状況が長かったようです。店名にも「隆兵そば」とあるのに、「普通のお蕎麦屋さんとちょっとちゃう」となったら、普通分かりにくいですよね。特に「そば屋」は歴史も文化もそれだけ根付いているので、ちょっと高かったら「なんでそば屋やのにこんな高いのん」とか、「きっちり日本料理を食べたいときは街中の日本料理屋さんに行くし」など、なかなかお客様にはなじみが薄く分かりづらかったのかもしれません。
ただ、主人いわく、先に主人の兄の話にもあったように、とにかく良い材料を使って、真面目に、誠実に、美味しいものを作り続けて行けば、理解してもらえるようになるし、「何やようわからんけど美味しいしええやん」と思ってもらえるようになるまでとにかく続けることや、という事でした。
「ただの蕎麦屋」「ただの料理屋」にならず、やはり唯一無二のものを求めていた主人は、お蕎麦、コース料理、飯蒸し(実家が餅屋で最上級のもち米が手に入る。料理屋にもそば屋にも真似できない美味しい飯蒸しを出せるから、あと、幼いころからの記憶)、を看板商品として、「京都の桂にある」というフィルターを通すことを大切にして、京都のほんの少し郊外である桂をイメージできる料理、桂離宮が宮家の「別荘」であったことからもわかるように、少し鄙びた感じの、だけれども田舎臭くならないということをテーマにしていました。
例えば、雅な磁器よりも土っぽい陶器を使ったり…かといって蕎麦猪口などには古伊万里を使うなど、工夫をしてまいりました。
桂においては、桂の風情を存分に表現し、行き過ぎないことが、主人が店として、料理人として、職人として大切にしているおもてなしのかたちであると申しております。
例えば、温泉が好きで家族で温泉旅行に行ったりしますが、山に囲まれた温泉宿の食事に真っ赤っかのマグロのお造りが出てくるとやはり違和感を抱くし、海辺の温泉旅館へ行くときは豪快に海の魚が出てくると嬉しいです。京都でも、碁盤の目の中では(祇園など)、いわゆる京焼など華美な器が合っているでしょうし、その土地の、その風情に合ったものをよく考えて練り上げてお出しすることこそ、臨機応変にその場その場にふさわしいことこそおもてなしの本来の姿だと考えております。
コース料理ですので、お造りをお出ししていますが、以前はぷりっぷりの海の魚をだしていました。料理屋でもそうですが、とにかく魚は活かった状態の(〆たての)ものでなければならないとどこかで思っていたために、高級なものを使うこともあったようですが、そういうお魚をお出しすることが、本当に桂らしいおもてなしかどうかを考えた時に、改めて原点である「そば」に焦点をあててひらめいたのが、本当に「そば」にぷりぷりの活かった「刺身」が合うのか?と、蕎麦はすこし鄙びた感じがあるのに魚だけぷりぷりで良いはずがない!と。
魚を〆るという理想のかたちを思い出し、すぐに東京の江戸前寿司を食べに行くことにしました。
江戸前のお寿司はネタに仕事がしてあり、〆たりヅケにしたり寝かしたりして、ぷりっぷりの身をあえて握らないんですね。シャリと一緒に口の中に入れた時にネタと一体になってお腹におさまっていきます。
今の自分にできることはすべてやるという思い立ったらまっしぐらな主人は、お金もないのに無理してでも東京に行き、江戸前寿しのその感覚を自分の身に吸収していきました。
京都は淡路などからとても質の良い鯛などが入ってきますので、鯛を昆布〆にしたものをお出しすることになりました。これで蕎麦とも違和感なくまとまったかと思っていましたが、職人気質の主人はまた悩みだしたのです。
これで本当に桂らしいおもてなしになったのか。
どうすればもっともっと良くなるか。どうすればもっともっとこの場にふさわしい料理をお出しできるか。
そういう事をいつも考えているので、ある日突然「魚を、川のもんでいく!!!」とひらめいたのです。
これには私も即座に納得いたしました。
京都は昔から琵琶湖の恩恵を受けてきました。地下水も豊富で、〇隆兵そばでも質の良い、愛宕山水系と云われている地下水が出るので、料理もお蕎麦もお出汁も、すべてこの大自然の恵みである井戸水で作っています。店のすぐそばを桂川が流れている、そして幼いころからの遊び場であり、身近な川。こんな立地で川魚を使わない手はなかったのです。
かつて京料理の職人は、「川もんを上手に出来て一流」と言われたそうです。今ほど交通も発達していない時代、その地でとれたものを工夫して上手に出す。それこそが料理人の腕の見せ所でした。
今の時代はボタンひとつで世界中からいろんな食材を取り寄せることができます。だからこそ、今の人たちの意識は一周まわって地産地消が大切だと気づき始めたのかもしれません。
「川魚といえばやっぱり鯉や!鯉を泳がすイケスを作るぞ!!!」
主人のおもてなしはこんなところから始まってしまうのです。素晴らしいことなんでしょうけど、イケスを作るって言ったって場所は?費用は?という私の心配をよそに、もう方々へ電話をかけ、気づけば家の隣の通路に大工さんがぞろぞろ集まっていつの間にか工事が始まり、あっという間に特注のイケスが完成しました。
桂に湧き出る豊かな井戸水が流れっぱなしになっている、つまり小さな川を再現したようなイケスです。
ここで泳がせた鯉のお造りは、確かによくある鯉のイメージである臭みが全くなく、ものすごく身があまくなります。この事実に、改めて水の力に驚き、店としてその恩恵を受けられていることがとても有難く、やっぱり川の魚にたどり着いたことが、この地の良さを最大限に出せる確信を主人は持つことができました。
このイケスには夏には鮎も泳いでいました。
また、看板商品の「飯蒸し」は、名物になるべく「鰻の飯蒸し」として再スタートしました。
イケスを作ったことで、鰻を泳がせることができたからです。
すでに開いてある鰻を仕入れたら楽なのに、主人はお客様をおもてなしすることを思うと、自分で裂いて自分の感覚で納得するまで自分で仕上げた方が、より心、気持ちがそこにこもっていくという考えなので、何度も鰻職人さんの元へ行き、教えていただき、その技術を習得していきました。
ここでも、鰻の丼といえば白いご飯ですが、うちでは飯蒸しなのでもち米を蒸したものです。ご飯ともち米の食感は全然違うので、鰻丼と同じ仕上げ方をしてもち米の上に鰻をのせましても、全然鰻ともち米が一体にならないのです。そんなことに気付いて試行錯誤しながら、鰻ともち米が一体となる美味しい鰻の飯蒸しが完成しました。
主人が考えるおもてなしのかたちには、終わりがありません。
いつも、「もっと良くなるためには…」と考えているからでしょうけど、きっとそれはお客様に伝わると思います。
主人は見えないところこそ手を抜いたらあかんと言います。
主人がお客様をおもてなしするために今かなり力を入れていることがイケスの掃除です。どうやったら喜んでもらえるか、を考えていくと「イケスの掃除」を徹底してやることにたどり着いたのです。
当たり前のことなんでしょうけどね、主人がイケスを掃除している姿なんて誰も見ていません。だけれど、きれいにしているから、お客様が「こんな美味しい鯉食べたことない」と喜んでくださる。結局、おもてなしとつながっていくのです。
おもてなしとは、お客様に接している時だけのことではないのですね。
お客様に喜んでいただけるように見えないところで努力をする。
努力していることは、京都の人にはわかる。なぜなら、見えないところでしている努力は必ずその人となりとなって意識しなくても表に現れ、分かる人、気づく人が見れば必ず気づかれます。最初に申しました「無声呼人」は、まさにこういう意識をいうのではないかと勉強させられました。自己主張せずに、自分を出せるというか、それは「品」とか「凛」という形で目に見えてくるのかなあと思います。
もうひとつ、主人がメニューのなかに名物を作りました。
「ぶぶ天」です。
隆兵そばは蕎麦を出しているのに、私が嫁いだころは揚げ物が一切ありませんでした。そば屋なのに天ぷらがないのはあまり聞いたことがありませんよね。なぜ出していないのかといえば、ただの天ぷらでは、京都らしさ、を表現できないという事でした。美味しければなんでもいいというのは主人の思うおもてなしではないようです。「揚げ物」はどこにでもあり、土地との関連性をあまり感じられずにいたけれど、どこにでもあるがゆえにお客様には「天ぷらはないの?」と聞かれることが多く、その必要性は感じていたらしいのです。
京都と関連付けるために京野菜を使ったかき揚げなどを試作していました。けれども、何度も試作を繰り返していくうちに「これだ」というものに気付いたのか、「ぶぶあられ」と「鱧」に「山芋」「季節の野菜」を使った今までに見たことのない揚げ物が完成したのです。「ぶぶ天」の誕生です。
ぶぶとはぶぶあられのことで、ぶぶあられを衣につけた天ぷらですが、これだけなら、よくある揚げ物です。
「鱧」は、言わずと知れた京都の夏の風物詩です。隆兵そばの横を流れる桂川、昔は桂川の下流に鱧の水揚げ場があったそうで、そこから京都市内へと運ばれていったそうです。
隆兵そばの表通りは、旧山陰街道と言い、古くは京都から丹波を通り山陰へ抜ける街道であり、山芋は、そんな丹波の名産品でやはり土地としても縁が深いものです。
また、もち屋の息子がもちを加工したぶぶあられを使う、、、など、主人は、ただ美味しい料理を作ることを考えるだけがおもてなしではなく、その意味や、歴史、背景があってこそ、と申しております。常にそのおもてなしへの意味や物語を求め、それなしには「深みのある」美味しいものはできないと考えているようです。
京都の人は、「やってもいいこと」、「やったらあかんこと」、「やったらええけど…(やってもいいと言いつつ、逆接を最後につけることで、石橋をたたいて渡るような慎重さが伺えます)」ということを一番気にしている感じがします。
で、鱧のすり身と山芋と季節のお野菜を合わせて練ってお団子状にします。それに天ぷらの衣とぶぶあられを付けて油で揚げ、その後に焼いて余分な油を落とし、香ばしさが足されます。小さなお椀にあつあつのお出汁をはり、そこへ薬味をひと片入れ、熱々のぶぶ天入れてジューッという香ばしい音をたてているところに蓋をして出来上がりです。
美味しそうでしょ!これを、盛りそばの前に出しています。
ただ美しいだけを良しとしない、美味しいだけではだめ、安いだけを良しとしない、義理人情がからむことによって一朝一夕では出来上がらない、長いお付き合いのお客様からの厳しい目もあってこそ、店も守るべきは守りだからこそ革新も時には受け入れられもするし、
京都は、そういう風に、安くてなんぼ、美味しくてなんぼ、お客様は神様やから何でも聞きまっせ、というおもてなしでは決してなく、常に店と客がきちんと対等であり、それだからこそ、店と客が信頼し合えるもの同士となり、良いものが作られる、残されていくような気がいたしました。
きょうびは、客はお金を払っているから何を言ってもいいというような風潮も見られるようになってきましたが、給食費を払っていないのはもっての外ですが、こちらが給食費を払っているのになんで「いただきます」も「ごちそうさま」も言わなあかんのやと見当違いな文句をいう親がいるとニュースで見たことがありますが、人と人とのあたたかいつながりが見えにくくなってきてしまっている気がします。悲しいかな。
結局、京都の方は自分の気持ちに嘘をつかず、ものすごく気持ちに素直に正直に、おもてなしをしているような気がします。
常連様というのは自分の店に足繁くお越しになってくださるからであって、そんな風に来て下さると純粋に嬉しい、よく来てくださるうちに仲良く(?)なるから、喜んでいただくための準備も何もかも前もって用意できるし気持ちも準備できるし、そしてやはりよく来てくださるという嬉しい気持ちが即おもてなしとしてお客様にお返ししている、そんな形のような気がします。
以上、京都1200年のおもてなしの考察と実践ということでお話を進めさせていただきましたが、生粋の京都の方が、よそさんであった私のこの話を聞いたら「そんな大袈裟なことやないけど」と笑って謙遜されると思います。
ここがまた京都人のポイントなんだと思うのですが、めっちゃがんばってるのにそれを見せへんというか、恥ずかしがりなのか涼しい顔をしていたいのか、結局コツコツ頑張っている姿は最後まで見せないというか。
そんな複雑だけれど人間味溢れるような京都人のおもてなしを、私なりに解釈してお話しさせていただきました。
という内容で、「おもてなしの考察と実践」というテーマに沿ってお話をさせていただきました。
主人からは、あの有名な「お・も・て・な・し」を、「お・も・て・な・し」と言わずに「京の、お・も・て・う・ら」にしてお話したら?と茶化されましたが、それは、もっと話の上手な方におまかせしたいと思います。
この度は、よそから嫁いだ私にとって、改めて京都の特性について考える機会をいただき、大変勉強になりました。
あくまでも神戸出身の私が5年の間に知り得る範囲内で感じた特性なので、もっともっともっと奥深いのだろうと感じています。
考察するにあたって、主人の母から勧められた大村しげさんの「京暮らし」という本は、とても興味深く日々の生活を豊かにさせてくれるような内容でした。
「住めば都」と言いますが、桂は「都」です!
京都はそろそろ紅葉シーズンです。
是非、〇隆兵そばを味わいに来てくださいませ。