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2014.10.01

講演会のお話(前編)

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9月上旬に、千葉にて「京都千二百年のおもてなし文化の考察と実践」という題で講演会をさせていただきました。

このお話をいただいたとき、まず、私が京都生まれ京都育ちの生粋の京都人ではないことを先方様にお伝えしました。よその土地から嫁いできてまだ5年ほどしか経っていないのに、そのような題でお話しできるほど京都のことを知りませんので自信もなく、満足のいく内容ができるとは到底思えなかったからです。
しかし、先方様は生粋の京都の方も勿論いいけれど、よその土地から嫁いできて初めて知った京都のおもてなしの考え方という目線で、是非、ということでした。
そのようにお声がけをしてくださったので、京都ではないよその土地から嫁いだ私が、商売を通して5年で知り得た京都のおもてなしの心得ということでお話をさせていただくことになりました。

主人や主人の家族が当たり前のようにしていることでも、よその土地から嫁いできた私にとっては初めて知った京都ならではのおもてなしの考え方が多くあり、いまも勉強中でございます。
千葉なので関東の方が多く、私と同じく京都ではない土地で今まで暮らしてきたからか、興味深く聞いてくださったようでした。
講演会終了後のアンケートでは、多くの方に参考になったと返答していただきましたので、その中から具体的に「この部分が参考になった」とお答えいただいた部分を抜粋して、その内容を載せたいと思います。

以下、講演会のお話そのままの原稿です。

私の主人は、創業明治16年、創業130年の餅屋、中村軒の次男でございます。現在、その中村軒は四代目である主人の父と五代目である主人の兄を中心に、主人の母である女将も現役で早朝よりもち米を蒸しておまんじゅうを作っております。主人の父は裏千家の先生に40年近く習っており、また、母は、「嵯峨野」という俳句結社で30年近く俳句を嗜んでいます。
有難いことに、私は、そんな文化的な趣味を持ちながら、京都で商いを続けてきている家族から、おもてなしの多くを学んでおります。
主人もそうですが、皆が共通して口にする言葉が「お客様が喜んでくれはるやろ」という言葉です。これは、嫁いできて何度となく聞いてきた言葉です。
~抜粋~
京都に嫁いでまだ5年しかたっていない私が、はっきりと感じている京都のおもてなしの心とは、京都の人は、「人との関わりにおいて、相手に絶対に嫌な思いをさせないように、絶対に相手に恥をかかさないように気を付けている」点、「おもてなしとは、他人を思いやる心に尽きると、非常に情に深く思いやりの精神を徹底している」という点だと思います。
京都の人は「本心を言わない」「腹の底で何を思っているかわからない」と思われることも多いと聞きます。
だけれど、主人や主人の両親、兄を見ていると、人との関わりにおいて、相手に絶対に恥をかかさないようにということを常に考えており、自分が何か意見したり言うことによって相手に恥をかかせたりするようなら「いちいち」言わない、という一面があり、人との関わりにおいてものすごく相手想いであることに感銘を受けました。
「いちいち」言わないということが「本心を言わない、何考えているか分からない」などの誤解を招いているからかもしれませんが。
~抜粋~
結局、主人の父が申しておりますのは、「人に恥をかかせる事は厳に慎み、常に気配りと思いやりを忘れぬこと。京都人=いけずとはとんだ誤解であり、多くの京都人は心配りのできる人間です。」ということです。

私が京都に嫁いできてすぐに主人とのやりとりでこんなエピソードがありました。
サラリーマンと専業主婦という一般家庭に生まれ育った私は、母が新聞の折り込み広告を見て、どこのスーパーが安いか、何曜日はこっちで何曜日はこっちが安い、と考えながら買い物をしている風景は日常のことでした。
油が安ければ少し遠いスーパーへも行き、卵が安いのはこっちと、スーパーをはしごするのも日常茶飯事です。母の後を追い、自転車でスーパーめぐりをしていました。
おかげで、ご飯の材料探しで色んな食材を見てまわるのが楽しくて、ある程度の制約がありながらも、これとこれ、と選んでおかずを組み立てていく楽しさを覚えましたが、その感覚を持ったまま嫁いでしまったものですから、最初に主人が、他にも同じものをもっと安く売っているスーパーもあったのに、馴染みの酒屋というだけで安くなっていない定価でものを買い続けることに純粋に疑問に思って「このスーパーやったらもっと安いしここで買うたらいいやん」と言ってしまったのです。
火に油を注ぐとはこのことだと思うのですが、急に眼の色を変えて、「○○さんとこでずっと買ってるんやし、大学の時にアルバイトさせてもらったり学生の頃からずっとお世話になってるし、店を開店したら○○さんとこで買ったげよう、配達もしてくれるし、うちが買うたからって○○さんとこの売り上げに貢献できるほどたくさん買ってあげられへんけど、それでも注文したげたいし、向こうもこちらの注文の様子で、便り代わりというか頑張ってんねんなあという風に思ってくれるやろし、ただ安いからっていうことだけで、違うとこで買うなんてことはしたくない」と言われました。
私はとても恥ずかしくなりました。そんなつもりはなかったけど、そんなつもりはない、ということはそこまでの考えに至ってないということ、また、安いからこっちにしようというのは自分のことしか考えていなかったのだと気づかされたのです。
結局、その時だけの損得しか考えてなかったのだと気付かされました。
物事は、長い目で見ることが最も大事だと主人から教わりました。
長い付き合いのあるA店で120円で売っているモノに対して、違うB店では100円で売っていても、120円のものを買う。それは、目先の利益を考えると100円で買った方が商売としては金額だけを見れば得をするのは明らかですが、それでもA店で買い続けることで、長い目で見た時に、人とのつきあい、つながりを大事にしていたら、そのつながりは絶対に最終的には自分を助けてくれるような間柄になり、良いように返ってくる。その時その瞬間の損得で動いていたら深い人間関係は構築できないということです。

これについては、主人の父も全く同じことを申しておりました。
私がこの話を父にしたところ、「うちでもそうやで」と。何十年何百年続けてこれるのは問屋さんとの何十年何百年の長い付き合いがあるからや。
ただ、今まで、私がそういう感覚でいたのは間違いじゃないし、専業主婦の母はそうするべきだし、私の母は何も間違ってないんやと。でも、京都に来たら、やっぱりそういう風に義理堅い人が多いし、ちょっと前までは今みたいにスーパーや激安店があるわけやなし、酒屋さんはここ、と決めたら絶対に浮気しないんやと。そうしたら、もし困ったときなんかでも、お得意さんやし、とか、昔から贔屓にしてくれてるし、ということで、例えば急な物入りの時にほんのちょっとでもわざわざ配達してくれたりする。人間は情があるから、うちのために努力してくれる。
例えば、問屋さんは問屋さんで、競合店が山ほどあるのは知っているわけで、それでも浮気せずにその問屋さん一筋の付き合いを長い間続けることによって信頼関係も生まれて義理人情で結ばれて、結果商売がうまくいくということです。
いま目の前の金額だけを見れば損をするかもしれないけど、長い目で見た時に、かならずそっちの方がうまくいくことが多いと。浮気をしていたら、やはり問屋さんの方も、こちらが困っていても「それやったらよそで買うたらよろしいやん」ということになる。とにかく長い目で見ることが大事だということです。
~抜粋~
主人の兄も、京都の人は、安いからどう、というのはないと。ちゃんと真面目に作っているものが好きなんやと、ひとつの好きな店で買い続けるのが京都人だから、材料でも、質を落とすのは論外ですが、作り方を変えたりするとすぐにお客様に「なんか味変わった?」とご指摘を受けるそうです。
中村軒のあんこは今でもおくどさん(かまど)で、クヌギの薪で炊いていますが、昔々におくどさんが壊れて一時期ガス釜であんこを炊いていた時期があったそうですが、すぐに「あんこの味変わってしもたなあ」と言われたそうです。直ったらすぐにおくどさんに戻しましたが、京都の人は、ちゃんとした良い材料使って、せこいことせんと真面目にコツコツ手間暇かけてしていたら、それが良い材料で手間がかかる故に少々高価であっても必ずわかってくれるし、値段の問題じゃなくて、安心してモノが買える方が安いという価値よりも京都の人にとっては良いんちゃうかと申しておりました。
従業員も養っていかなあかんし商売としては利益を上げるのももちろん大事やけど、ちゃんとしたことをしていたら目先の利益に焦らんでも、絶対に京都の人は分かってくれるし、京都はそういう土地やと思うということでした。
そういう京都のおもてなしのかたちを象徴することばが、中村軒の座敷にかけてあります。
「無声呼人(むせいこじん)」「声無くして人を呼ぶ」
徳を積めば声を挙げなくとも人は集まるということです。
見えないところでも誠実に手間暇かけてきちんとしたことをコツコツとしていたら、勝手に人が集まってくると。
安心していただけるよう、真面目に誠実に商売をしていくことも京都の歴史からうまれたおもてなしのかたちなのかなあと思います。
主人の兄は、「京都で商売させてもらう」のであれば、「京都の人に恥ずかしくない」ものを作る、「京都の地の人に喜んでもらえるものを考える」という、「京都人」が求める商売のかたちを突き詰めているだけであって、それが結果として「京都らしさ」もっと言えば「京都のためになる」につながっているんやと思うと申しておりました。
~抜粋~
「ここまではいいけど、これはやったらあかん」という線引きが京都の人には脈々と受け継がれてきたように思います。
~抜粋~
おもてなしで大事なことは相手を思いやることに尽きると思います。
京都の人はそうやって義理堅く情に厚いため、相手のことを考えるあまり、時には、相手に対してものすごく気を使って気をまわして余計な気疲れもたまにするんですが、主人もよく胃が痛いと言うてますが、そういった思いやりの心を持った義理堅くて人情味あふれるところが、京都らしいおもてなしの形のような気がします。
~抜粋~
裏千家の先生に付き40年近く茶道に親しんでいる主人の父から「亭主が客をもてなすけれど、どれだけ喜んでもらえるか、喜んでもらいたい一心でもてなすし、心をつくしてもてなした時にお客様が喜んでくれたらこんな喜びはないで」「それを、亭主7分、客3分言うんやで」と教わった時に、おもてなしの本質を聞いた気がいたしました。

これは、茶会でも茶事でも、招かれた人はその時だけの楽しみですが、招く側(亭主)は、その何日も時には何か月も前から、「どのようにすればお客様に喜んでいただけるか」例えば趣向や、道具組み、場所のこと、季節のことなど様々なことを考えて楽しみながら準備します。
茶会の当日はもちろん、精一杯の努力で無事一会を終え、そのあと何日もかかって片づけをしながら、お客様の反応や笑顔を思い出し、次の機会に備えてまた楽しみながら後片づけをするという事です。したがって、もてなしている亭主の方がもてなされた客よりもはるかに一期一会を楽しんでいるのだと、聞きました。
そういったところがお茶の魅力であり、それは、おもてなし、商売はもちろん仕事の中、家族や知人との過ごし方の中、時には自分ひとりの時間の中で、どのように楽しむか日々の生活に通じる、必ず役に立つところがあると教わりました。
~抜粋~
お茶の世界では言葉遣いにも非常に気を使っており、言葉一つ、言い方ひとつで相手の方をホッとさせるおもてなしができると教わり、日常会話から正しい日本語が使えるように、気を付けて過ごしております。
さらに、漢字の読み書きができるか、文章が書けるか、色々な人と楽しい適切な会話ができるか、とんでもないハプニングや災害に遭遇したときに、あらゆることに工夫して判断して乗り切る技量を持ち合わせているか、何が本当に美味しいものか判断できるか、食事がただの餌になっていないか、良いものを見る目が養われているか、せっかく日本に生まれたのだから日本の文化を大切にしましょうと40年お茶を続けている主人の父から教わり、勉強している最中でございます。
~続く~

一時間半弱の講演でしたので、後半は来月の散歩道で紹介したいと思います。