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隆兵そば
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2016.04.01

角家

160401

第66回は、「角家」のお話です。

以前、ご縁があって祇園をどり、北野をどりを観に行ってからというもの、「いつかお茶屋さんへ行ってみたい」と憧れる気持ちが一段と強くなりました。
お茶屋さんは無理だけれど、昨年のある日、かつての花街、京都は島原の「角屋」に行くことが叶いました。
「角屋」は現在は営業されておらず、揚屋建築唯一の遺構として国の重要文化財に指定されており、「角屋もてなしの文化美術館」として一般に公開されています。
揚屋建築の「揚屋」とは、江戸時代の書物によると「饗(もてな)すを業とする也」と定義されているところから、現在の料理屋・料亭にあたるものと考えられているそうです。饗宴のための施設であったので、大座敷や広庭、茶席があります。昔の方々がどのような場で食事を楽しんでいたのか、後学のため主人と見学へ。〇隆兵そば校外学習です!

島原は江戸時代以来、公許の花街(歌舞音曲を伴う遊宴の街)として発展し、俳壇が形成されるほど和歌俳諧などの文芸活動も盛んで賑わっていたそうです。幕末の志士たちも頻繁に集っていたこの空間を、時代を経て共有することができました。
明治維新以降は大型宴会の需要が減ったことと立地の悪さで、島原の街全体が衰退してしまったということです。立地の悪さについては、ここ桂の地も同様で、営業し続けていくにあたり幾度も頭を悩ませた問題でした。
京都市内でありながら川(桂川)を挟むだけで「郊外」となります。
「街中(四条、あるいは碁盤の目の中)にあれば」というお言葉を幾度となくいただいてきましたので立地の悪さが少なからず難点になることは否めないと、骨身にしみるほど感じております。
ただ、主人にとっては、そのことがかえってお客様に対する真摯な情熱に転換され、お客様へも食材へも誠実であり続けることを体現する機会となっているようです。
角屋が現在も営業されていたらどんなに趣きのあることだろう、こんなところでお蕎麦とお酒を嗜みながら句会を楽しめたら、日本人に生まれてよかったと心底思うはずと妄想していました。お膳を囲んで夜な夜な句を詠み合う。
いつか「出張隆兵そば」ができないかしらん!
大広間のすぐそばに渡り廊下があり、その先に何があるのかお尋ねしたら、何もなくただ酔いを覚ます場であるという事でした(写真の渡り廊下です)。ただの酔い覚ましの空間という、贅沢な豊かな造り。建物の細かい部分にまで洒落が効いていたり、感性と日本人の教養があふれています。
見学の際は、係の方が建物の説明をしながら案内してくださいます。
桜の時期に是非またお越しくださいとおっしゃっておられました。大きく見事な枝ぶりの桜の木が植えられていたので、きっと良い時期に行くととても風情があって美しいことだと思います。
冬の間は閉館されており、春から秋の終わりごろまで開館されています。
二階を見学する場合は事前申し込みと拝観料も別途必要ですが、どうせ行くのであれば是非二階も一緒に拝観されることをお勧めいたします!

島原から桂までは車で15分弱。どうぞ隆兵そばまでお出かけください。余韻にひたりながらいただくお酒とお蕎麦、お話が弾むと良いですね。
残念ながら狭い店ですので、余韻に浸る際には目をつむりながらお蕎麦をすすってくださいませ!