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2016.12.23

俳句 (前編)

私は下手ながらも俳句を毎月出句しております。嵯峨野という京都の俳句結社の隅っこに混ぜていただき、ここへ毎月七句郵送で出すのです。出した句は嵯峨野の会誌に載り、自宅に送られて来ます。優秀な句は一番前の欄に載せていただきますが、これが滅多にないのですが、だからこそ頑張ろうと思うのかもしれませんね。月々千円ほどで出来て、さほどお金もかからないし、特別な場所に行かずとも空いた時間に出来ます。

しかし私が俳句を始めた理由は、実は趣味ではなくて完全に仕事の為です。俳句には季語という季節の言葉を詠み込むルールがあります。そして、その季語ばかりをあつめた歳時記という辞書があります。その歳時記は日本を凝縮した書物と言っても過言ではありません。もちろん食材(野菜や魚の名前)の宝庫です。日本文化の結晶である歳時記を見るだけで、「季節感」という日本の料理に欠かせない感覚を得ることができるのです。

季語を織り交ぜて五、七、五という17文字で「詩」を作る。それが俳句です。

そう、「詩」でないとダメで、「こんにちは今日は寒くて嫌ですね」では詩にはなっていないのです。詩にする為にはどうすれば良いのだろうか?と考えると、それは、言葉を吟味して洗練させていけば良いんだと気付きます。しかし、ウソはダメです。すぐにバレます。  感動を素直に、それでいて洗練した言葉でもって十七文字にする。余計な事は言わず、感動の中心を盛り立てる。

まさにこれは和食と同じです。こういう感覚を得ることが大切です。限られた範囲の中で無限のものを生み出す。決められたルールの中で最高を目指す。  それが素晴らしいと思います。  最近は料理も俳句も範囲やルールが曖昧な「何でもあり」がウケる傾向にあるように思えてなりません。確かに何でもありには楽しい側面があります。自由さを感じます。  しかし深くない。そして飽きやすい。その場のドカンとした楽しさだけで深い感動がない。  もちろん、そういうことも大切ですが、そういうことだけが大切なのではないと思うのです。

日本人が好きなもの、飽きないもの、それは平明ながらも深いものだと思うのです。

さて、冬至が過ぎたばかりですので、冬至の句を一つ紹介して今回はここまで。

酒になる水やはらかき冬至かな   大屋達治