和食の「和」
和食の「和」にはどんな意味があるのかという、極めて当たり前なことをあらためて考えたいと思います。
辞書には
争い事がなく穏やかにまとる(和合、平和)
性質の違うものが一緒に溶け合う(調和)
日本、大和の国(和歌、和食)
とありました。
和食は日本の料理ということは当たり前として、和食とは調和の料理であると言えます。
性質の違うものを調和させることが和食であるということ。
しかし、これは奇抜な取り合わせを実現させるということではありません。全くもってそういうことではない。
昆布と鰹という性質の違うものが溶け合って出汁になります。これが和食の基本の「和」の在り方だと思いますが、問われるのはその「溶け合いかた。」
ただただ、溶け合えば良いかというと そうではありません。大切なのは「バランス良く溶け合うこと」。これこそが、本当の「和」であると言えます。
昆布と鰹と調味料が鍋の中で戦争していてはいけません。平和に溶け合い、バランス良く調和がとれていること。
そしてまた、このバランスにも種類があります。
昆布と鰹が少なくてバランスがとれているお出汁、昆布と鰹が多くてバランスがとれているお出汁。
和食は薄味といいますが、それは「調味料」が「少なくて済む」ようにすること。つまり、出汁をしっかり引く必要があります。それによって、塩や醤油などの塩分を控えることが出来ます。
薄味イコール水くさいではありません。
何年も修行した料理人でさえ、この薄味を取り違えて水くさい出汁を引く人がいますが、やはり出汁は良い材料をたくさん使い、良い部分だけをしっかり抜き出してバランスをとりたく思います。
そのようにしてしっかり引いた濃度の高い出汁でもバランスがとれていると濃いとは感じません。ひたすらきれいなのです。
出汁がしっかり引けているのにきれいな味。これを良い出汁の一つの目安にしていただきたく思います。
この出汁がベースになり、様々な食材を結び、「和」を形成していく。
和食の「和」とはそういうことではないかとわたしは感じております。