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隆兵そば
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2018.04.01

満開、いや、散り始めですね。
日本人は何故こんなにも桜が好きなのでしょうか。「美しく咲き、潔く散るからだ」という人がありますが、私は何かそれだけでは無い気がします。

花が余りにも美しく、また、寒い冬が明け、暖かくなり始めたのと同時の開花ということもあり気分が高まり気がついていないだけで、桜にはもっと深いところにおいて人の一生、人の本質があるからだと感じるのです。

つぼみができ、それがだんだん大きくなり、花が咲いて、やがて散ってゆく。その間には晴れた日もあり雨の日もあり、風の日もとても寒い日も、結構暑い日も、いろんな日がある。
よく晴れた日にゆっくりとした風の中で、きれいに散ってゆく花もあれば、風雨にさらされながらボトボトになって地面に落ちる花もある。

いずれにしても、一人の人の一生は、この蕾から散ってゆくまでの桜と同じような気がします。
ただ、それだけではここまで桜が好きだと言う理由にはならないと思うのです。

本質は花の部分のみにあるのではなく、桜の木自体にあるのではないかと感じます。

散った後の桜はやがて葉桜になり、暑い夏を越え、桜紅葉になり、葉っぱが散って冬を迎え、また春になり蕾をつけ花を咲かす。
人間の一生が「蕾から花を咲かせ散る」ことだけならば、なんと軽い一生なんだと思います。
本来はそうではない。
桜の木のように、ずっとずっと繰り返し、繰り返し、続いていく命なんだと言う事をどこか深いところで感じているからこそ桜が好きなんではないかと思います。

それならば桜でなくとも何でもそうではないかと言われるかもしれませんが、桜の花の美しさが象徴的すぎるので、人生に例えやすいのかもしれません。

また、ずっとずっと繰り返し続く命であっても、桜の木もいつかは倒れるではないか、とおっしゃる方もあるでしょうが桜の木は地になり地球そのものになりずっとずっと続いていく。たとえ地球が消えてなくなっても今度は宇宙そのものに同化して続いていく。

その人の命はその人の人生一回限りですが、その人の本来の、本当の「命そのもの」は、桜の命と同じく、地球の命と、宇宙の命と同じくずっとずっと、繰り返し繰り返し続いてゆくのです。

咲いて散ることばかりにとらわれず、ずっとずっと続いていくと言う大真実に徹底して仕事ができればと散りゆく桜を見ながら感じました。