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2013.10.01

滋賀県散歩

滋賀県散歩

第40回は、滋賀県散歩のお話です。

8、9月と定休日の日に続けて滋賀県へ行ってまいりました。
目的は、大津市歴史博物館で開催されていた「珠玉の大津絵」という企画展、MIHO MUSEUMで開催中の特別展「朱漆・根来」、西国三十三ヵ所巡礼(石山寺・三井寺・上醍醐寺)、琵琶湖の魚を食す、鮒鮓購入…です。

石山寺、三井寺へ行く車中で聞いたのは、米朝さんの落語「近江八景」。
噺のはじめのくだりに近江八景(瀬田の唐橋・唐崎神社・粟津原・堅田の浮御堂・比良山・石山寺・矢橋・三井寺)を31文字の歌のなかにおさめて「乗せた(瀬田)から、先(唐崎)は粟津か、ただ(堅田)の駕籠、比良石山や、馳せ(矢橋)らしてみぃ(三井)」と詠んだ人がいるとあり、へぇぇすごいなあと感心していました。そうすると今度は八景を俳句の17文字のなかで詠めという難題に「七景は霞の中に三井の鐘」と詠んだ人があるという話。霞の中に隠して鐘の音だけが聴こえている情景。米朝さんの惹きつけられる噺し方もまた然り、日本人の感性の豊かさ・ユーモアに感服し、目的地まで道中の気分も盛り上がりました。

休みの日をいかに充実させるか、この充実度が高いほど店もより良いものになると信じています。
私が中村家に嫁いで一番感動したことそして尊敬しているところは、どうしたら人が喜んでくれるかを常に考えて実践しているところです。
商売では当たり前のことでしょうが、常に考えて常に実践しそれを進路を外れることなく「続けられる」ことは尊いことだと思います。
「どうやったらお客様が喜んでくれるか、お客様だけやないで、どうやったら人が喜んでくれるか、自分がしてもらって嬉しかったことをしてあげたり、それで人が喜んでくれたらこちらも嬉しいやろ。旅行や外食をするのもそういうことを勉強するためや」と義父は言います。義父はとても行動が早く、そこが、言うは易しで終わらない尊敬すべきところなのだと思います。
義母はいつもとても素敵なセンスで中村軒の店内を飾りつけしているので、ちょこちょこそのセンスを盗みに(ただ美味しいおまんじゅうを食べに行きたいだけちゃうかと主人には疑われていると思いますが!)中村軒にお邪魔します。そんな義母も、よく「こうしてたらお客様喜ばはるやろ」と言います。

そういうわけで、大津絵の展覧会では「こんなお軸が店にかかってたらお客様喜ばはるやろなあ」根来展では「こんなんに料理盛りたいなあ、こんなんで出してみ?そら感じええでぇ…」と主人。見るもの聞くこと食べるもの全部店とつながっています。お寺でお参りしていても、「こんな檜皮葺の屋根ええなあ」、「玄関がこんなんやったら入った瞬間お客様絶対落ち着かはるで…」とにかく延々とそんなことを言っています。

お寺に参拝してその建物や仏具の美しさに心を動かされる時、それが神様や仏様という目に見えない対象に対して純粋に「祈りながら」作られているからこそ「美しい」と感じるのならば、人に喜んでもらう為に動くことが尊いと思うのは、そこに私利私欲がないからなのかもしれません。

ミホミュージアムで見た根来展の「根来」は、もともと和歌山県にある根来寺で僧たちが日常に使う什器から始まったもので、下地に黒漆を塗り、朱漆の上塗りで仕上げた長年の用に耐える良質な漆器です。
東大寺二月堂で実際に使われていた盆や、神様のお酒を入れる銚子には、その形に一寸のブレも隙もないような完璧な姿でした。
主人が常日頃言うことは、心を打たれるほど美しいものは純粋な「祈り」から生まれる、ということです。神具や仏具や宗教建築物の姿が美しいのは、それが作られる過程に神様のため、仏様のためという純粋な「祈り」があるからだと。「祈り」のないものは作為的でわざとらしく、そういうものには、いくら姿かたちが整っていても、心を打たれるということがない。そして「祈り」は古来より日本人を日本人たらしめている行為だと。
私たちも、真心からの接客を日々心がけて精進しよう!と思えた休日、滋賀の旅でした。
何か気になる点がございましたらいつでもお気軽に従業員までお声かけくださいませ!精一杯お応えしたいと存じます。