隆兵そば
2019年3月10日

今、ここ

隆兵そばという店名の名付け親である福井県小浜市の仏国寺第13世原田湛玄老師様の一周忌に参列させて頂きました。
老師様には人生の全てを教わったといっても良いくらいに私の人生に多大なる良い影響を与えて頂きました。

特攻隊であった若き日の老師様、出撃の直前に戦争が終わる。
先輩や同僚が皆んな飛び立ったまま帰らない中、生き残った辛さに耐えられない。あの方々は無駄死にだったのかと…

終戦後もそんな失意の中、小浜の禅の高僧 原田祖岳老師様と話す機会があり、「ワシの言う通りに実行すれば おぬしの悩みは全て解決する」と言われて弟子になられ、血の滲むような修業ののちに大悟され、生死問題を完全に乗り越えられた方であります。

私の大叔父が老師様と学友というご縁から、ひと月だけお寺に厄介になる機会を与えて頂きました。

はじめは精進料理を学びたいというくらいの軽い気持ちでお寺に入りましたが、日々座禅座禅。三日もたてば足の感覚が無くなるほど座禅には厳しいお寺でした。

わずかひと月でしたが、私が今まで生きてきた生き方を完全にひっくり返されました。
言葉ではないのです。言葉以上の大切な種を植えて頂きました。
その種を発芽させ開花させ結実させられるかは自分次第だという宿題も頂いた気がします。

それから15年、開花や結実という結果はわかりませんが、お蕎麦なので日々「打ち」込むことは出来ているわけです。
有り難いの一字をもって邁進することだけしか出来ませんが、ただひたすらに 生きる人生を楽しみたく思います。

老師様は日々「よしよし」とおっしゃっていました。
今、私の仕事に「よしよし」とおっしゃって下さるだろうか?
「まだまだ頑張りなさい!よしよし」だと思います。

よし、頑張ろう!

2018年10月17日

富士山

今、新幹線の車窓からもうすぐ見えるであろう富士山を想像しながら この文章を書いております。

今や富士山は日本人のみならず、海外の方たちの中でも人気があるようです。
まずはあの姿形がなんとも堂々として、尚且つ日本的な美しさを感じます。安心感がある形なんですかね。
何かホッとさせてくれるし、同時に凛ともしている。
本当に不思議な山です。

さて、富士山と言う名前は不死の薬をその山頂で焼いたことから来ていると竹取物語には書かれてありますね。
かぐや姫に会えないなら長生きなんてしても意味がないと帝は嘆いて焼かれたのでしょう。
不死の薬が今、目の前にあれば飲みたいですか?
僕はやっぱり飲まないと思います。

死ぬからこその尊さというものがあると思います。
食べ物ならば腐る。腐るからこその尊さ。蕎麦ならのびる!のびるからこその尊さ!
だからこそ大切なのです。

永遠はない。何にでも別れはある。
しかし、それは、その形に於いてのこと。
本当の命はみんな繋がっているということが事実です。消えてなくなるような世界ではない。

富士山は空と繋がっていて、空は月と繋がっている。
富士山は大地と繋がっていて、大地は人と繋がっている。
隆兵そばのお蕎麦はつなぎ無しでもきちんと切れずに繋がっています!

2018年5月10日

職人 作家 アーティスト

今回は職人、作家、アーティストと題しておりますが、なにもそれは工芸をやる人に限ったカテゴリーではなく、料理人についても職人タイプ、作家タイプ、アーティストタイプに分けることができると思います。

これはあくまでも私自身の分類なので、そう感じない方もいらっしゃるとは思いますが、それぞれのタイプについて述べたいと思います。

まず職人タイプ。イメージとしては誰もが一番イメージしやすいのが職人タイプではないでしょうか?
とにかく突き詰める。そこに経費や時間や労力がかかろうとも、品質を最優先にするのが職人タイプだと感じます。ただ、「時間をかけてでも良いものを作る思い」は持っていますが、「時間をかけずに良いものを作る技術力」をつけることが職人の本分と知っているため、高品質のものを早く生産出来る人が多いです。またそうなることこそ生き甲斐としているように感じます。
しかし、必ずしも本人は経営者でなくても良いタイプだと思います。

次に作家タイプ。これは私の中では職人タイプとアーティストタイプの真ん中という位置付けをしております。
品質にもかなりこだわるけれど、経費や時間、労力はいくらでもかけるかといえばそうではなく、良いものをつくるための適切な経費や時間、労力とは何かが常に分かっている。つまり、もの自体の品質と、それに見合う経費や時間、労力の配分とをたくみに調整出来る能力、とくに時間配分がうまいタイプが作家タイプだと感じます。
バランス力にすぐれ商売人としても引き過ぎず、出過ぎず、ちょうど良い位置で好感を持たれるタイプだと感じます。

次にアーティストタイプ。アーティストタイプももの作りの妥協はせずに高品質を求めます。ただ、求める先の視点が職人や作家とは少し違う気がします。セルフプロデュース込みの高品質。つまり、「自分の」作品という打ち出し方が多いように感じます。頼まれた仕事をすることが苦手で、「自分の世界観を世に問う」というものの作り方であるように感じます。プロデュース能力に長けている為、お金もたくさんついてくるタイプだと感じます。

どのタイプもそれぞれに魅力的であると思いますが、はたして、自分はどのタイプなのか?または、どのタイプを目指しているのか?ということが大切であり、同時に自分ではわからない問題でもあるように感じます。

私の答えは既に決まっています。

「全部」

2018年4月1日

満開、いや、散り始めですね。
日本人は何故こんなにも桜が好きなのでしょうか。「美しく咲き、潔く散るからだ」という人がありますが、私は何かそれだけでは無い気がします。

花が余りにも美しく、また、寒い冬が明け、暖かくなり始めたのと同時の開花ということもあり気分が高まり気がついていないだけで、桜にはもっと深いところにおいて人の一生、人の本質があるからだと感じるのです。

つぼみができ、それがだんだん大きくなり、花が咲いて、やがて散ってゆく。その間には晴れた日もあり雨の日もあり、風の日もとても寒い日も、結構暑い日も、いろんな日がある。
よく晴れた日にゆっくりとした風の中で、きれいに散ってゆく花もあれば、風雨にさらされながらボトボトになって地面に落ちる花もある。

いずれにしても、一人の人の一生は、この蕾から散ってゆくまでの桜と同じような気がします。
ただ、それだけではここまで桜が好きだと言う理由にはならないと思うのです。

本質は花の部分のみにあるのではなく、桜の木自体にあるのではないかと感じます。

散った後の桜はやがて葉桜になり、暑い夏を越え、桜紅葉になり、葉っぱが散って冬を迎え、また春になり蕾をつけ花を咲かす。
人間の一生が「蕾から花を咲かせ散る」ことだけならば、なんと軽い一生なんだと思います。
本来はそうではない。
桜の木のように、ずっとずっと繰り返し、繰り返し、続いていく命なんだと言う事をどこか深いところで感じているからこそ桜が好きなんではないかと思います。

それならば桜でなくとも何でもそうではないかと言われるかもしれませんが、桜の花の美しさが象徴的すぎるので、人生に例えやすいのかもしれません。

また、ずっとずっと繰り返し続く命であっても、桜の木もいつかは倒れるではないか、とおっしゃる方もあるでしょうが桜の木は地になり地球そのものになりずっとずっと続いていく。たとえ地球が消えてなくなっても今度は宇宙そのものに同化して続いていく。

その人の命はその人の人生一回限りですが、その人の本来の、本当の「命そのもの」は、桜の命と同じく、地球の命と、宇宙の命と同じくずっとずっと、繰り返し繰り返し続いてゆくのです。

咲いて散ることばかりにとらわれず、ずっとずっと続いていくと言う大真実に徹底して仕事ができればと散りゆく桜を見ながら感じました。

2018年1月29日

本物

本物は何か?
という問いに対して明確に答える事は、かなり難しく思えます。

物事を追求し出すとキリがないですし、真剣にやればやるほど、どこまでも本当でない気がして来るものです。

逆に大して追求しない人がほんの少しだけこだわりのある商品を手掛けると本物志向などと気軽に言います。

本物かどうかは最終的には、作り手に罪悪感があるか無いかということだと思います。
ほんのこれっぽっちもないなら本物。ほんの少しでもあるなら本物と言い切るワケにはいかない。
そんなところだと思います。

有り難いことに、私は自分の仕事に対してほんの少しも罪悪感がない。出来ているか出来ていないかなら、きっとまだまだ出来ていないはずです。
しかし、やっていることに罪悪感は一ミリたりとも無い。

良かった良かった。

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隆兵そばでは、出来得る限り有機栽培や無農薬、減農薬野菜を使い、
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『晦日そばの日』

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