隆兵そば
2019年11月5日

そばと酒

そばと酒は合わない。 と言うと猛反発をくらいそうですが、正しくは、「そばを食べながら酒を飲むのは不粋」という事。
ますます 怒られそうですが、もちろんそば屋で飲む酒は格別です。しかし それは、そば屋で飲む酒であり、そばを食べながら飲む酒ではないという事。
そばは伸びないうちにささっと食べるのがマナーであり、粋であります。
そばは酒を飲みながら食べるものではないのです。
その為に そば屋には酒のアテがあり、そばが来るまでの間に 「そのアテで」飲むのです。ですからそば屋では「酒」の事を「そば前」と言うのですが、最近の雑誌などが「そば屋の酒のアテ」をそば前と言いだしており、本来の意味が曖昧になって来ております。
本来はそば屋の酒、百歩譲って、そば屋で飲むという行為がそば前という事であり、おつまみ自体はそば前ではないのです!
さて、隆兵そばでは、そのアテが川魚料理なわけです。つまり、酒のセレクトは川魚料理に合う酒、ワインも川魚料理に合うワインを選ぶ必要があり、そばに合う酒やワインを選ぶのではないという事です。
ただ、「そのそば屋」に合う酒やワインはオッケーという事になりますね。そばそのものに焦点を当てるのではなく、そのそば屋に焦点を当てる。そして、そのそば屋がどんな料理を出すのかにより、その酒やワインは異なってきます。
細かいことを言いますが、味覚とはそういう綿密な考察抜きには語れない繊細なものだという事です。

2019年5月18日

観音堂

毎月18日は曜日に関わらず定休日です。それはお世話になっている福井の小浜にあるお寺へお参りする為。この日は観音堂でお話しがあり、子供達と一緒に出掛けるのです。

今日は上皇后様が昔詠まれた御歌のお話しでした。

知らずしてわれも撃ちしや春闌くる バーミヤンの野にみ仏在さず

「われも撃ちしや」というところに仏教の精神があると老師様がおっしゃっていたということでした。
石仏が破壊された事や、その不寛容を嘆くだけではなく、もしかしたら、自分もそのようなことがあるのでは?と深く自省される。
石仏が破壊された時、そのように思える人間がどれだけいただろうか。
人が何をやった、言った、ではなく、常に自分がやっている事、言っている事を深く自省しましょうということでした。僕が全く出来ていない事です。その自覚があるのが唯一の救いかもしれませんが。

2019年3月10日

今、ここ

隆兵そばという店名の名付け親である福井県小浜市の仏国寺第13世原田湛玄老師様の一周忌に参列させて頂きました。
老師様には人生の全てを教わったといっても良いくらいに私の人生に多大なる良い影響を与えて頂きました。

特攻隊であった若き日の老師様、出撃の直前に戦争が終わる。
先輩や同僚が皆んな飛び立ったまま帰らない中、生き残った辛さに耐えられない。あの方々は無駄死にだったのかと…

終戦後もそんな失意の中、小浜の禅の高僧 原田祖岳老師様と話す機会があり、「ワシの言う通りに実行すれば おぬしの悩みは全て解決する」と言われて弟子になられ、血の滲むような修業ののちに大悟され、生死問題を完全に乗り越えられた方であります。

私の大叔父が老師様と学友というご縁から、ひと月だけお寺に厄介になる機会を与えて頂きました。

はじめは精進料理を学びたいというくらいの軽い気持ちでお寺に入りましたが、日々座禅座禅。三日もたてば足の感覚が無くなるほど座禅には厳しいお寺でした。

わずかひと月でしたが、私が今まで生きてきた生き方を完全にひっくり返されました。
言葉ではないのです。言葉以上の大切な種を植えて頂きました。
その種を発芽させ開花させ結実させられるかは自分次第だという宿題も頂いた気がします。

それから15年、開花や結実という結果はわかりませんが、お蕎麦なので日々「打ち」込むことは出来ているわけです。
有り難いの一字をもって邁進することだけしか出来ませんが、ただひたすらに 生きる人生を楽しみたく思います。

老師様は日々「よしよし」とおっしゃっていました。
今、私の仕事に「よしよし」とおっしゃって下さるだろうか?
「まだまだ頑張りなさい!よしよし」だと思います。

よし、頑張ろう!

2018年10月17日

富士山

今、新幹線の車窓からもうすぐ見えるであろう富士山を想像しながら この文章を書いております。

今や富士山は日本人のみならず、海外の方たちの中でも人気があるようです。
まずはあの姿形がなんとも堂々として、尚且つ日本的な美しさを感じます。安心感がある形なんですかね。
何かホッとさせてくれるし、同時に凛ともしている。
本当に不思議な山です。

さて、富士山と言う名前は不死の薬をその山頂で焼いたことから来ていると竹取物語には書かれてありますね。
かぐや姫に会えないなら長生きなんてしても意味がないと帝は嘆いて焼かれたのでしょう。
不死の薬が今、目の前にあれば飲みたいですか?
僕はやっぱり飲まないと思います。

死ぬからこその尊さというものがあると思います。
食べ物ならば腐る。腐るからこその尊さ。蕎麦ならのびる!のびるからこその尊さ!
だからこそ大切なのです。

永遠はない。何にでも別れはある。
しかし、それは、その形に於いてのこと。
本当の命はみんな繋がっているということが事実です。消えてなくなるような世界ではない。

富士山は空と繋がっていて、空は月と繋がっている。
富士山は大地と繋がっていて、大地は人と繋がっている。
隆兵そばのお蕎麦はつなぎ無しでもきちんと切れずに繋がっています!

2018年5月10日

職人 作家 アーティスト

今回は職人、作家、アーティストと題しておりますが、なにもそれは工芸をやる人に限ったカテゴリーではなく、料理人についても職人タイプ、作家タイプ、アーティストタイプに分けることができると思います。

これはあくまでも私自身の分類なので、そう感じない方もいらっしゃるとは思いますが、それぞれのタイプについて述べたいと思います。

まず職人タイプ。イメージとしては誰もが一番イメージしやすいのが職人タイプではないでしょうか?
とにかく突き詰める。そこに経費や時間や労力がかかろうとも、品質を最優先にするのが職人タイプだと感じます。ただ、「時間をかけてでも良いものを作る思い」は持っていますが、「時間をかけずに良いものを作る技術力」をつけることが職人の本分と知っているため、高品質のものを早く生産出来る人が多いです。またそうなることこそ生き甲斐としているように感じます。
しかし、必ずしも本人は経営者でなくても良いタイプだと思います。

次に作家タイプ。これは私の中では職人タイプとアーティストタイプの真ん中という位置付けをしております。
品質にもかなりこだわるけれど、経費や時間、労力はいくらでもかけるかといえばそうではなく、良いものをつくるための適切な経費や時間、労力とは何かが常に分かっている。つまり、もの自体の品質と、それに見合う経費や時間、労力の配分とをたくみに調整出来る能力、とくに時間配分がうまいタイプが作家タイプだと感じます。
バランス力にすぐれ商売人としても引き過ぎず、出過ぎず、ちょうど良い位置で好感を持たれるタイプだと感じます。

次にアーティストタイプ。アーティストタイプももの作りの妥協はせずに高品質を求めます。ただ、求める先の視点が職人や作家とは少し違う気がします。セルフプロデュース込みの高品質。つまり、「自分の」作品という打ち出し方が多いように感じます。頼まれた仕事をすることが苦手で、「自分の世界観を世に問う」というものの作り方であるように感じます。プロデュース能力に長けている為、お金もたくさんついてくるタイプだと感じます。

どのタイプもそれぞれに魅力的であると思いますが、はたして、自分はどのタイプなのか?または、どのタイプを目指しているのか?ということが大切であり、同時に自分ではわからない問題でもあるように感じます。

私の答えは既に決まっています。

「全部」

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隆兵そばでは、出来得る限り有機栽培や無農薬、減農薬野菜を使い、
京都、または京都近郊でとれた食材や関西近郊で醸された酒を提供できるように心がけております。

毎月月末最終日は単品営業!
『晦日そばの日』

※最終日が定休日にあたる場合はその前日に実施いたします!